2010年1月
- 1月20日
- 携帶電話を買ひ換へようかと思つてゐる。上のから下のに。
- C3002K | 2001年 | 製品アーカイブ | au by KDDI
- S002 | 携帯電話 | KDDI株式会社
- 今1XからWINに變へると機種變更代を割引してくれる。と云ふキャンペーンのチラシが時々來る(少なくとも東京では)。S002は近所のauショップだとシンプル一括八千円圓弱。當然ポイントも適用される。
- 毎囘このチラシは中途半端な情報しか載つてゐないので都内auショップの店員さんに訊いた事。
- 今囘キャンペーンの期限は決まつてゐないらしい。なので今月いつぱいで終了する事も有り得る。
- 割引額は月單位で變はり、割引對象機種も變はるかもしれない。
- 割引はau携帶電話を取り扱ふ店なら何處でも實施してゐるが、auショップ以外での割引額はauショップでは把握してゐない。auショップの間では店によつて千圓〜二千圓程度の差が有る。
- 割引對象機種に依り割引額は異なる。CA004やSH004は五千圓位しか引いて貰へないのだつたやうな。高いのを買ふ氣が無いのでうろ覺え。安いのはS002とmisoraとW63Kでどれも同じ程度。その邊は待つてもこれ以上安くはならないらしい。他機種もこのキャンペーンでこれ以上の割引はされないのだつたかな。
- やつぱり詳しい事は店員さんに尋ねて下さい。
- 換へるべき理由は今の基本料金で無料通話がやや餘つてゐる事。それに電池の減り方が早くなつた。電池パックの問題なのかは分からない。
- S002は持つてゐれば使ひさうなワンセグ機能附きの割に安い。どうせ今のも使はないくらゐだから變へて不滿は無いか、と思つたが通話時の音質はどうなのか。今は不滿が無いので尚更氣になる。
- 携帶電話は安つぽくなつて行つてゐるし、捨てるのは勿體無いから、周波數再編まで待ちたい。しかし随分損してゐるし。携帶電話持ちたくないとも言つてゐられないから一昨年が買ひ換え時だつたと思ふ。
- auが周波數再編の事をチラシに書かないのは謎。
- 1月21日
- 見せかけの爲の努力でもした方が人の役には立つかもしれない。でも中身は同じだ。
- 1月23日
- 闇黒日記平成二十二年一月二十三日、パンセの五八 「君は義理をわきまへぬぞ。失禮ながら」は「失禮ながら」だけに鉤括弧だと思ひます。
- 中公文庫(前田陽一・由木康譯)でしか讀んでいないけれども。當たり前の事ながら譯が結構違うな。
- こちらも引用する。 p276-277(四三四)
- キリスト教の知識、と言ふかイエス・キリストの教へは知らないよりは知つた方が良いと思つた。
- 本當に人の爲を思つてゐられる時が少しでもあるとしたら、誤る可能性は如何なる場合でも捨て切れないものの、その時こそ自分の行動が人の爲になつてゐるかどうか目を向ける機會になる筈である。
- さう云つた心構へを持たない時に自分勝手な態度を守らうとしないでゐられるのか疑問に思ふ。
- ポパー「よりよき世界を求めて」も拾ひ讀みしてゐる。
- 1月24日
- 頭の中で論證する事があるからと言つて、それを書き表せなければ本當に論證をしたのかどうか解つたものではない。
- 短文しか書けないのでは困る。書くのが思考の妨げになつては困る。
- パスカルにしても福田恆存にしても、論爭家であり、戰鬪的で激しい言葉が極めて多いのだけれども、世間の人は只管無難で穩當な感じの言葉許りを採上げ、一般的な「聖人君子」の類として扱はうとしてゐる。
- だから勘違ひする人が續出するわけだ。
- 中公文庫の方の譯は如何にも物腰柔らかな感じ。
- 譯そのものの問題なんかより問題意識が無い讀書に意義は無いと云ふ事なのだが。
- 1月25日
- もう寢るべきか思ひ附きを思ひ出してメモするべきかと考へてかうなつた。
- 或る種の差異を區別しない、見出さない事への批判。公正。死ぬのが程度の差はあれ無念だとは言へ、生きた人間の惱みと死者の無念とを差別するのはをかしい。さう云ふ事に怒りを覺える感情は認めてはならないのか(本當に怒るべき事に怒つてゐるかは疑ふべき)。
- 偏見は「気を附けよう」で濟ませても直らないし、誤りは見附ける事からして難しい事。ポパーのエリートと大衆と云ふ見方への批判は他のレッテル貼りにも通用する部分がある。○○だから何をやつても無駄、間違ひ。或は有益、完璧。と云ふ理論。
- 價値觀(≒偏見)は持つてゐないとは言へない事。上に引いたやうな「無關心の懐疑論者」はさう云ふポパーが批判するやうな相對主義に無意識の内に染まつてゐると思はれる事。何でも良いから何かする必要性を考へようとしてみれば多分解る。上の文で言へば怒るべき事等あるのかどうかとか。「狂信」。
- 批判が必要である事。批判する時それが自分に當て嵌まる事は多い。←この邊り特に重要だと思ふ
- 正義感はあらゆる時に必要だと思はれる事。けれどもそれは正しい事が出來るかどうかとは無關係である事。正しい事をするのに正しい判斷が全く役に立たないとは思はれない事。より正しい判斷にはより正しい知識が附き纏う事。
- より正しい判斷の爲に必要だと思はれる知識に就いて。今日買つた本の事。さう言へば聖書は歐米人が餘りに引用するからネタとしてだけでも知つておいた方が良いな。さう云ふ讀書はするべきではないが。本を買ふ時に思ひ出したパンセの循環論法云々(六)、あれが解らない。
- 『ノートルダム・ド・パリ』における「二重の存在」とその「調和」 - がらくた置場
- リファラに載つてゐた(nari28さんにリンクされてはゐない)。
- パンセのその文ばかり有名なのはどうかと思ふ、と言ふのもその事を詳しく説明したりそこから先に行つたりする部分が多かつた氣がするので。四一一。四一八。
- 論理的な繋がりを斷片的にしか見附けられないのが「知識」「尺度」不足なのではないか。
- ブックオフで、自己啓發書の棚に屡々參考書が紛れ込んでゐた。何らかの答へ(成功、救ひとも言ふ)と云ふのは全て疑ふべき(例へばこれの「全て」の部分が眞なのかも含め)なのだから、判斷力を鍛へる事に繋がる知識を最優先に得ようとするべきだ。(これは自己啓發批判であつて同じ理屈で參考書の方が役立つとは言へない。)
- 括弧へのご意見・ご感想
- 「狂信」「知識」「尺度」はポパーから引いた。野嵜さんが良く解らない鉤括弧を使ふ時は、自分が何處かに説明があるのを見逃して(忘れて)いるか、紹介されてゐる本に書かれてゐるだらうと思つてゐる。
- 例へば「ある」は大概、世界3の實在の事なのかなとか。廣く疑問を呈する事が出來るのは便利だ。
- けれども誰か(筆者や自分、第三者)の指摘で語の定義が解つても、未だ文章の意義を理解するのに十分とは限らない。その用語の意味を知る事で文章全體の意味を理解出來るかどうか、それを檢證するのに必要ではある。その段階で無駄のある文章かどうか推測出來る。
- コメントの補足、「使はない方が」は括弧に係ります。
- 1月26日
- 今が晝だつたら、いや時間よ止まれ。考へてゐて時計を見たら考へる前から0分しか經つてゐなかつたと云ふ事になれ!!
- 何でコップの底に殘つた野菜ジュースが牛乳になつたと思つたら今度はココアになつてゐる上に片附けようと思つた食器が増えてゐるんだよ。生かされてゐるなあ。
- 税の学習コーナー|税について調べる|国税庁
- 何時か讀む。
- 私がライバル/井上多美子 本 - TSUTAYA online
- 昔讀んで印象に殘つてゐる漫畫。何時か買はう。
- 全然昔の先生ではなかつたし。他も讀んでみよう。
- 1月27日
- 括弧(2)へのご意見・ご感想
- どのやうな文章を書くべきか(=書かないべきか)と云ふ問題は、人間は何をするべきかと云ふ問題に含まれる。
- 皆が惡文ばかり書いて、勝手な讀み方ばかりし合つて一體何が惡いのか、と云ふ問題の方が大事だ。
- 七鍵さんはその結論から何處かに書いてゐるのかもしれないが探してゐない。
- 言葉の救はれ――文學と時代: 高村光太郎の詩
- また何言つてゐるのかも解らないスパム。今更發見した。ノズラー言つてゐるのは2ちやんねらーだとか、「冷たい支持」つてどつちなんだとか。
- 1月29日
- 括弧(3)へのご意見・ご感想
- それはどんな外見の犬か知らないと文章の意味が解らない時ならその通りです。その「犬」に括弧が無かつたとしてもその通りです。
p281私は独断論者たちの唯一の砦の前に足をとめよう。それは、誠実にまじめに話すならば、自然的な諸原理を疑うことはできないということである。
これに反対して、懐疑論者たちは、われわれの起源の不明という一言をもって対抗し、そのなかには、われわれの本性の不明という問題も含まれているのである。それに対して、独断論者たちも、世の始めから何か答えつづけている。
こうして、人間のあいだに戦端が開かれたのである。この戦いでは、各人はその去就を決し、あるいは独断論、あるいは懐疑論のいずれかの側に必ず立たなければならないのである。なぜなら、中立を守ろうと思う者こそ、懐疑論者の最たるものであるからである。中立を守るというこのことこそ、この徒党の本質なのである。彼らに反対しない者は、りっぱに彼らの側に立っているのである。
四三五
これらの神聖な知識がなかったならば、人々は、過去の偉大さのなごりである内にある感情によって自分を高めるか、あるいはまた、現在の弱さを見て気を落してしまうかのほかに何ができただろう。なぜなら、真理の全部を見ることができなかったために、彼らは完全な徳に達することができなかったのである。ある人たちは、本性を腐敗していないものと見なし、他の人たちは、修理不能なものと見なした。それで彼らは、すべての悪徳の二つの源である、高慢あるいは怠惰のいずれかをのがれることができなかった。というのは、彼らは、悪徳のなかへ、卑怯にも身をゆだねてしまうか、あるいは高慢によってそこから脱出するほかはなかったからである。なぜなら、もし彼らが人間の優秀さを知ったとしても、その腐敗を知らない。その結果、怠惰はうまく避けても、尊大のなかに身を滅ぼしてしまうのである。また、もし彼らが、本性の虚弱を認めたとしても、その尊厳を知らない。その結果、虚栄をうまく避けることができたとしても、それは絶望のなかへ飛び込むことによってである。
"「犬」"よりも"赤くて小柄な犬を「犬」とする"と説明があった方がより好ましい、何故、「赤くて小柄な」を省略するのか